第10話 ファシリテーション自分史 その1

毎日ファシリテーションのことを考えています。

というか、あらゆる物事をファシリテーションの視点で考えています。


じゃ、得意なのかというとそんなこともないです(がっかり)。

でも、自分の思考回路の真ん中にファシリテーションがあります。

それだけは間違いないです。


このように、考え方の「軸」のようなものができたこと。

それは僕にとってとても大きなことです。


では、一体いつからファシリテーションを考えるようになったのか?

特定の日時を言えるようなものではありません。

でも、後から振り返ってみればいくつかあります。

「あの経験が効いたんだろうなー」と感じることが。


それらを書き留めていきたいと思います。


いわゆるプロのファシリテーターとの初の出会いは1999年でした。

国際協力の実務面の技能習得の一環でPCM手法の研修を受けたときのことです。

PCMはプロジェクト・サイクル・マネジメントの略です。

PCM手法そのものについても大いに語りたいところです。

でも、ここではファシリテーションに絞ってお話します。


PCM研修では「モデレーター」と呼ばれていました。

仲立ちをする人、というような意味でしょうか。

ファシリテーターとほぼ同じ意味で使われることも多いです。

微妙な意味合いのどの部分を強調したいかによっても好みが分かれそうです。

個人的には「容易にする人」のファシリテーターのほうが僕は好きです。

ここでは、用語の統一のためファシリテーターを使うことにします。


このときのPCM研修には僕を含め約20名の受講者がいました。

そして、3名のファシリテーターが従事していました。

3名のなかのベテラン1名が全体を仕切る人。

ほかの若手2名が、2組のグループワークをそれぞれ仕切る人。


このとき、生まれて初めて本格的なワークショップを経験しました。

自由にみんなで作り上げていく過程に、新鮮な興奮を覚えたことは忘れません。

議論が袋小路になったときのぐったり感も覚えています。


この研修でのベテランの人は経験豊富で、その進行ぶりはさすがでした。

ただ、具体的にどのようにさすがなのか、僕はまだ分かりませんでした。

なぜ、この人の進行を僕は心地よく感じているのだろう?

この無意識の問いが生まれ、それがファシリテーションを考えるきっかけになったはずです。

もちろん、土の中に蒔かれた種のような段階です。

答え(芽)はまだ見えていません。

長い道のりがこうして始まりました。

地域づくりファシリテーション研究所

地域づくりの活動それぞれにリーダーが必要。でも、リーダーだけいればうまくいくとは限らない。側面支援も大切。この側面支援を「地域づくりファシリテーション」と称して、その役割を考えていきたい。研究所と名乗っているが、とりあえず仲間たちと共にこじんまりと議論し、実践していくなかでの気付きを記録していく。

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