第12話 ファシリテーション自分史 その3
参加型ワークショップやファシリテーションの魅力を知りつつあった2001年。
僕はまた強烈なファシリテーションの現場を目撃しました。
インドネシアのボゴールで開催された数日間のワークショップ。
「自然資源管理の地方分権化:紛争解決の方法」
たしか、そんな題名が付いていたように記憶しています。
利害が対立する人たち同士を和解させる方法論?
ぜひ知りたい!
僕はそのような強い期待を持って参加しました。
(この出張をするためにそれなりの犠牲も払いました)
いざ現地でワークショップが始まると、一気に幻滅しました。
研究発表が入れ替わり立ち代わり続くだけだったからです。
テーマとあまり関係しないような発表もありました。
各発表者というより、企画・運営側の問題です。
紛争解決の方法論は一体いつになったら議論されるのか?
僕のイライラは増していくばかりでした。
すると、3日目くらいに「その人」は登場しました。
アメリカの大学教授のFさん。
彼は別の仕事との重複のため、遅れての参加となったそうです。
インドネシアでの研究経験が長いそうで、インドネシア語も流暢。
そんな彼は、その時点までのワークショップの内容を全員で復習しました。
英語とインドネシア語の壁を乗り越えるべく自ら通訳もしながら。すごい!
多くの人が立ち上がって順番に意見を言いました。
僕も、自分の感じていた不満を述べました。
すると、実は大多数の参加者がそれぞれに不満を持っていることが分かりました。
インドネシアの参加者は、自分たちの地域や活動現場での混乱を口々に訴えました。
確かに当時、スハルト政権が崩壊してまだ2、3年しか経っていない頃。
資源管理についての新たな法令や政策もまだ確立しておらず、 まさに過渡期の混乱のさなか。
一通り意見を集めたあとでFさんはこう言いました。
「なるほど、話を総合すると、こうなるかな?
まずは現状の色々な問題をここにいる全員で共有すること。
それが我々に今できる最善の行動だろうか?
こういう認識でよい?」
参加者の多くが納得感を覚え、大きくうなずきました。
この間、Fさんはホワイトボードに自らキーワードをメモしながら、 とても手早く議論を進行。
手早く、といっても会場にいる参加者の声は丁寧かつ確実に拾いながら。
僕は、イライラしていた自分を恥じました。
それに対してFさんは、会場に渦巻くたくさんの種類の不満を察知。
それをあっという間に全員が共有する課題として特定しました。
さらに、その先に進む道について合意を生み出してしまったのです。
あっという間のできごとで、まさにイリュージョン。
紛争解決の方法という特効薬のようなものを期待していた僕がアホでした。
そんなものがあれば世のなかもっと平和なはずです。
役立つヒントがあったとすれば、それはFさんがまさにいま見せてくれた振る舞い。
このFさんの実演をナマで見ることができたのは僕の貴重な財産です。
20年経った今でも「ボゴールの奇跡」(?)として記憶に強く残っています。
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