第23話 根浜MINDからの学び その2

岩手県釜石市の一般社団法人根浜MIND。

2020年12月のオンライン会合で色々なお話を聞くことができました。

要点は以下のとおりです。


地域性と役割 

・岩手県内でも沿岸、特に釜石では地域住民が主導する取り組みが多い。

・そのなかで、移住者や海外の団体との間をつなぐ役割を根浜MINDが果たしている。


設立の経緯

・震災後、観光プランなどは行政主導だった。

・一方、2015年に隣の大槌町の吉里吉里では住民主導の動きあり。サーファーのスポットとして浪板海岸ヴィレッジが開設。

・これを見て、「行政の動きを待つのでなく自分たちで動こう!」と集まって立ち上げたのが根浜MIND。


中心的事業の形成

・沿岸の救難体制づくりや安全教育が中心的事業になってきた。

・震災後、まずロンドン美術大学がアートで復興支援を目指した。

・その後、ウェールズ号という救助船を釜石に配置してレスキュー事業が進展。

・宝来館の裏に避難道がある。非常時だけでなく通常時も海から安全に人が移動できる経路として、英国人の協力者らがデザインを工夫。

・津波の怖さを知り、そのうえで海に親しんでもらうことが大切。

・根浜が安心・安全な海であり続けることを目指す。

・レスキューについては、救急車が来るまでの15分をそこにいる村の人々でどう埋めるか、という視点。大槌と釜石中心部の中間にあり、消防署がない根浜としての課題。


地域づくりファシリテーション的な役割

・根浜の住民の思いは壮大。

・細江さんは2017年に地域おこし協力隊として移住。

・行政と近い立場にいたので、助成金を獲ってくるなどして活動を生み出しながら、地域住民と行政の間をつないだ。

・協力隊3年の任期を終えてみると、できないことも多かったと感じる。

・地域づくりでは色々なステークホルダーとの協力が必要と痛感。

・人口が少なく、民間だけでは資金も不足。

・合意形成が必要だが、難しかった。

・コーディネートすること自体はお金にならないという問題もある。

・当初の事業は大人向けの想定だったが、その後、子供向けに方針転換した。その際の関係組織間の調整などにおいてファシリテーターの役割を果たした。

・子供向けにするのは、未来に向けた活動であり、活動の輪を広げる目的もある。

・この地元側の考えを海外の協力NGOに納得してもらうためには、誰からどのように提案するのがよいか考えた。そして、事前調整をして、行政から提案してもらう形にした。

(北村コメント:この事前調整は、意思決定を円滑にするための側面支援と言えそうです)。

・結果として、方向転換により民間財団から助成金を受けることができ、協働相手の海外NGOとの関係もさらに良好になった。


海岸林再生から海との関係を再構築

・地元漁師が保存していた根浜の海岸植物の種を活用。

・岩手県立大や盛岡の環境NPOに参加してもらっている。

・100年先の根浜の海岸風景を作っていく。

・子供たちに知ってもらうため、年に3、4回、出前講座をやっている。

・震災前、課外授業として、地元小中高校では根浜海水浴場での活動があった。

・小学校では砂の城を作る活動、中・高では海岸清掃。

・震災後に海から離れていた子供たち。海との距離の取り方は難しい問題。

・海岸植物再生の活動が根付いてきており、お土産商品の開発などがこれから。

・子供たちが段階的に浜辺に戻っていくのを促す活動。


個人の漁船を用いた観光の再開支援

・(漁協レベルでなく)個人レベルの漁船による観光が震災以来休止。

・再開のための試行の際、根浜MINDとして協力。

・現在は、かまいしDMCという別組織が一元化し始めている。


地域の人たちとの協働

・根浜の人たちは、思いが一致さえすれば一緒に活動できる。

・根浜の人たちは防災への思いなど語る。

・根浜MINDは案件を持ち込んで、分かりやすく具体的に伝える。

・ファシリテートの仕方に一定の型はあるかもしれない。ただ、それは地域ごとに少しずつ違うだろう。

・自分の意思で方針を決める団体が沿岸(根浜を含め)に多い。

・活発というよい面がある一方で、考えがまとまりにくいという難点もある。

・言葉の先を汲み取って束ねていくことが必要。


活動の意義

・自分たちの活動は「小さな村の物語」。

・だが、子供たちにとってのふるさとづくりであり、よい影響がある。大人は見守っている。

・震災から10年経ち、これからは、見てくれている地域外の人たちと「付かず、離れず、ゆるやかに」つながる活動を通じて、後ろ向きにならないようにしたい。


スポーツを通じたまちづくり

・もともと新日鉄の影響により、外からの人を受け入れる文化があった。

・昭和20年の艦砲射撃で焼け野原になった釜石。

・市民の心を一つにするためスポーツの力を借りた。

・最初は野球(都市対抗)、次にラグビー。

・森さん、松尾さんなど外から有力選手が来てくれた。

・選手たちは好きだから続けただけと言う。

・しかし、製鉄業が斜陽で合理化の波が来て、人口も減少するなか、ラグビーだけは勝ち続けなければならないという使命感があったのだろう。

・そのように、外から来た途端に人が使命感を持つのが釜石なのかもしれない。

・釜石という小さな村の物語を通して日本や世界の問題が見えるからかもしれない。

・世界中に同じような問題は多くあるが、釜石が活発なのは、結局のところ「人」なのだろう。

・思いが一つになれば同じ行動をする。ラグビーと通じるものがある。

・釜石の産業を形作ってきた過程で、市民に根付いているのだろう。


組織内の協働と進化

・根浜MINDでも外から来たスタッフが、組織のステージを、そして地域全体のステージを上げてくれている。

・子供たちの成長をサポートしながら、楽しむことを示してきた。

・廣田さんはラグビー経験者。10番のポジションだった。

・(廣田さんにとって)いま思えば、地元には9番と10番が不足していて、外から来た自分たちがそれらのポジションについているのかもしれない。

・9番・10番は、フォワードとバックスをつなぐ役目。地域づくりにも通じるものがある。

・今回、まず関心を持ってもらったことが嬉しい。自ら作ってしまいがちな壁を取り除いて、挑戦している他の人たちと知り合う、分かり合うことをやっていきたい。


お聞きした話の要点は以上です。

箇条書きにしてしまうと味気なくなってしまいすみません。

実際は、3名とも画面越しとは思えないような温かみと熱意を感じるお話ぶりでした。


そして私事ですが、実は僕もラグビー経験があり、ポジションは9番でした。

なので、10番経験者の廣田さんのお話に興奮してしまいました。

ちなみに9番と10番は「ハーフ団」と呼ばれます。

2人でチームのなかのつなぎ役を担う一心同体の関係です。

例えるなら、二重の造りになっている蝶番(ちょうつがい)です。

(例えないほうがむしろ分かりやすかったかも???)


ところで、根浜MINDという名称。

最初、何気なく見ていました。

根浜の人たちの思いや心意気を示すのだろうと。

でも、ある日、気付いてしまいました。


Never mind. 気にしないで。

ネバー・マインドとネバマ・マインド。

和英混合の駄洒落、もとい、かけ言葉なのでしょうか?

そうなら、なぜもっと早く気付かなかったのでしょう!

おやじギャグ脳の僕なのに。


そんな遊び心もある(?)根浜MIND。

このご縁を大切にして、これからも引き続き学ばせていただきたいと思います。

岩崎さんがおっしゃるとおり、「付かず、離れず、ゆるやかに」の精神で。

地域づくりファシリテーション研究所

地域づくりの活動それぞれにリーダーが必要。でも、リーダーだけいればうまくいくとは限らない。側面支援も大切。この側面支援を「地域づくりファシリテーション」と称して、その役割を考えていきたい。研究所と名乗っているが、とりあえず仲間たちと共にこじんまりと議論し、実践していくなかでの気付きを記録していく。

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