第33話 青年団活動との協働のさらなる展開 その3
石川県青年問題研究会。
略して「青研」(せいけん)。
それにまつわる物語を前々回と前回に書きました。
ファシリテータ―としての僕自身の学びと経験値の向上。
その機会をいただけて感謝の気持ちでいっぱいです。
終了後に僕がいま感じることを今回共有します。
まず、「見守る先輩」の姿が印象的でした。
青年団は基本的に35歳まで。
それ以降は、卒業生として後輩たちを支援することになります。
この集会では、午前に報告し議論していた研究室メンバーに卒業生がいました。
彼らが午後にどのような発言をするのだろうか?
それを事前に僕はあれこれ想像してみました。
ところが、当日午後に卒業生たちの姿は会場にありませんでした。
帰ってしまったのかと思いました。
ところが、16時の集会全体の終了時刻間際に会場に戻られました。
恐らく、若い衆に自由に議論してもらうため席を外したのでしょう。
一本取られました!
正確にいうと実は午後の会場に卒業生が一名参加していました。
しかし、この先輩も、自分から発言することは皆無でした。
全員から一言もらいたい場面で僕が指名すれば発言してくれました。
それ以外は、完全に聞くことに徹しているのでした。
こうしたことはなかできることではありません。
思いが弱くて黙っているのではないのです。
逆に思いが強いから、見守り役に徹することができるのでしょう。
こうした側面支援も地域づくりファシリテーションの一環かもしれません。
(無理やり名付けるなら「見守りファシリテーション」?)
次に、やはり目がいってしまう会の名称について。
青年団というのが既に歴史を感じさせる響きです。
そして、この日の青年問題研究集会。
通算第67回とのこと。
歴史の重みを感じさせます。
いまふうの表現なら「シンポジウム」とでも呼ぶのでしょう。
いや、シンポジウムすら、かなり昔からよく用いられています。
流行に迎合しない姿勢には見習うべきものがあります。
それに引き換え、昨今では怪しげな外来語が乱用される風潮があります。
例えば、… あっ、ファシリテーションがまさに怪しげな外来語でした!
それはともかく、安易に変えずに伝統を守ること。
一周回ってそれが新しくなることもあります。
青年団活動はそういうものかもしれません。
もちろん、オンライン通信の普及など時代の変遷にも対応する。
変えずに守ることと、変えていくこと。
その見極めと両立がきっと大切なのでしょう。
そのような青年団活動のこれからの変遷。
応援団の一員として僕も見守らせていただきたいと思います。
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