第67話 対馬での学び その12
対馬での様々な地域づくりファシリテーション。
当事者たちはこの概念では語っていません。
でも、僕から見れば、地域づくりの側面支援の宝庫なのでした。
特に強いと感じたのが「つながりの設え」です。
これまで僕はこれを特にファシリテーションの種類に加えていませんでした。
プロセスや体制の設えに含まれる要素というような感じで捉えていたのです。
でも、対馬での学びにより、つながりの設えを一つの項目として立てるべきと考えるようになりました。
これについては個人的な裏話があります。
数年前に、僕自身が別の研究者からヒアリングを受けたことがあります。
その際、質問のひとつに「自分の役割は何か?」がありました。
僕は、「ファシリテーターでありたいと常に考えている」というように答えました。
すると、聞き手の人から次のような質問が続きました。
「何と何をつないでいるのですか?」
僕が「えっ?」というように一瞬詰まると補足がありました。
「ファシリテーターというと、何かと何かをつなぐイメージを持っているのですが。」
その考えかたは僕があまり意識していないものでした。
なので、その場では、取り組む本人の自主性が高まるためのさりげない働きかけを大切にしている、というような、コーチング的な側面支援を僕なりの答えとして返しました。
ただ、このときに感じたモヤモヤはずっと僕の記憶に残っていました。
今回の対馬での学びによって、僕は初めて明確にファシリテーションにおける「つなぐ」意義を腹落ちさせることができました。
対話した3名の相手全員がその実践例です。
特に、吉野さんの表現を借りると「カタリスト(触媒)」としてつなぐこと。
つながりの設えが高度なファシリテーションになるには、全体として付加価値が高まる工夫がきっと必要なはず。
厄介な魚が人気の食材に変わるには、高度なつながりの設えが必要だったはずです。
ということで、無理やり一言でまとめるなら、僕にとって対馬は「つながり大国」なのでした。
写真:夕闇に光るヤマネコの公衆トイレ。後ろの樹木のシルエットまでヤマネコに見えてしまう(?)。
※本文とは関係ありません。
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